和嶋慎治という人間を端的に表している
「幼心に聞こえてきたは 英吉利西舶来ロックのリズム
末は博士と言われたものを 悪魔が来りてギターを鳴らす」
人間椅子の楽曲「三十歳」(踊る一寸法師収録)における和嶋の自己分析は、言い得て妙と言うか、和嶋慎治という人間を端的に表していると思う。
横溝正史の作品にかけているのも彼らしいユーモアだ。
強めの酒を傾けながら聴きたくなる
和嶋のギターは、まず上手い。
テクニカルで正確なだけではない。
曖昧で月並みな表現になるけど、味があるのだ。
ちょっと強めの酒を傾けながら聴きたくなるような、そんな味があって、どっぷりと陶酔してしまう。
私が高校生の頃、楽器屋で立ち読みしたギターの教則本の巻末に、日本を代表するギタリストという欄があって、そこに横関敦や橘高文彦と肩を並べて和嶋の名が挙がっていたのを見つけて、とても嬉しかった記憶がある。
私は和嶋や鈴木と同じ弘前高校卒業生だ。
和嶋は中学生の時点で、デビュー当時と同じギターの腕前を持っていたらしく、弘高に和嶋ありと名を馳せていたそうだ。
ねちねちと練られた曲構成
また、人間椅子の楽曲における重厚な構成美は、和嶋の手によるところが大きい。
たとえ締切りが近くても、「まだ物足りない」と構成をいじくるそうだ。
そんな、ある種の偏執狂じみた、ねちねちと練られた曲構成は、人間椅子の大きな魅力の一つだ。
和嶋による詞は、完全なる文学
そして詞だ。
和嶋による詞は、完全なる文学だ。
言葉のチョイスがひとつひとつ繊細で、慎重に編みこまれている印象だ。
日本語の美しさを心ゆくまで堪能できる。
もし人間椅子のアルバムが海外でも発売されて、そこに訳詞が載るとしても、彼の詞の魅力は伝わりきらないだろう。
あれだけの才能を持ちながら、あの謙虚な性格
数々の魅力を備えた人物であるが、あれだけの才能を持ちながら、あの謙虚な性格。
ライブでのあのアットホームな雰囲気は、彼の性格ゆえだろう。
ライブ終盤、ギターを頭の上にかついでソロを弾いたり、歯で弾いたりと、あのパフォーマンスを見てると、私は毎回感動する。
またライブに行きたいものだが、なかなか行けない昨今。
10月には青森に来るらしいから、是非行きたいな。
2010.9.21 Freakz
(追記)
12年も前に書いた文章か、我ながら和嶋愛に溢れた名文だ。
この文章を書いたとき、まだ人間椅子は海外で認知されてはいなかった。
しかし今は違う。
多くの海外の方が人間椅子の音楽を聴いて楽しんでいる。
「彼の詞の魅力は伝わりきらないだろう」と私が書いたのは、彼の詞が文学だからであって、その妙味までは伝わりづらいだろうなぁという意味だ。
訳詞で大まかな意味が伝わることはわかっている。
冒頭で引用してある「三十歳」の歌詞の軽妙さまでは、しかし翻訳では伝わるまい。
日本人に生まれてよかった。
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