初めに
Kerry KingのインタビューがMetal Hammer誌に載っていたので、要約しつつ思いを書いてみたい。
(出典:Metal Hammer誌)
(引用元:Kerry King: “Metallica certainly influenced me” | Louder (loudersound.com))
(引用部分は斜体)
ソロ・プロジェクトについて
「俺の作品を知っているなら、どんなサウンドになるかは分かるだろ?
今、俺にあるのは時間だけだ。」
重くて速くてクールなものが出来上がるに違いない。
「Slayer」はもともと寡作な方だから、僕たちファンは気長に待つしかないんだろうけど。
幼少期について
「LAから南東に20分のところに住んでいたんだ。
姉が2人いて、ラジオがあった。
姉たちがかけているものなら何でも聴いていたし、ラジオでヘビーなものを聴くことはなかった。
でも、一日中『Van Halen』を流すようなロックチャンネルはあったよ。
音楽に興味を持ち始めたとき、俺はすでにギターを弾いていたんだ。
13歳のときだよ。
『Van Halen』を見ていると、まるで魔法使いがギターを弾いているような気がしてきた。
感動しないわけがない。
でも、ラジオで『Judus Priest』に出会ってしまった。
『British Steel』のカセットを買って、その時に『Rapid Fire』や『The Rage』などの珠玉の作品に出会ったのさ。
それから『Unleashed in the East』と『Stained Class』にも。」
Kerryのハードロックとの出会いは「Van Halen」。
メタルとの出会いは「Judus Priest」なんだね。
名盤「British Steel」を「カセット」で買ったってのがまたイイね。
初めてのバンドについて
「バカなバンドだった。
『Quits』という名前だった。
俺が名付けたわけじゃない。
『Slayer』以外の唯一のバンドだったんだ。
全部カバーで、オリジナルが1、2曲。
俺のものは何もなかった。
何度かライブをやったけど、そのバンドには全く可能性がなかった。
解散して、その時点で自分が何をしたいかが良く分かった。
『Maiden』、『Priest』、『Deep Purple』だ。」
この頃のKerryはまだ伝統的なメタルを志していたんだね。
まさかあそこまで過激な音楽が出来上がるなんて、この時は本人も想像もできなかったことだろう。
メンバーとの出会い
「新しいバンドのオーディションには何度か参加したんだけど、あまり印象に残っていない。
オーディションを受け、外に出ると、Hannemanがギターを弾いていて、俺が好きな曲を全部弾いていたから、話をした。
それで、『一緒にやらないか』となったんだ。
この時、すでにDaveを見つけていたと思う。
彼はピザの配達員で、近所の家に住んでた。
俺たちは集まってDaveのガレージで演奏したんだ…静かにな(笑)
その時、俺はTomの電話番号を聞いた。
Tomのガレージに引っ越して、そこから『Slayer』始まったんだ。」
当時、ガレージで練習をしていたってのは何かの解説で読んだことがある。
機材も環境もクソもない、情熱だけがそのガレージで燃えていたんだろうな。
「Metallica」について
「彼らは、少なくとも1年先を行っていた。
オリジナルをやっていて、俺らはまだカバーをやっていた。
でも、俺とDave Lombardはライブで彼らを見て、Mustaineに圧倒されたんだ。
今でも彼は素晴らしいギタリストだ。
大きな箱ではなかったから、どこからでも見ることができた。
Mustaineが狂ったようにリードを弾き、Jamesが狂ったようにリズムを刻み、歌詞を吠え立てるのを見て、とても魅了されたんだ。
自分が思っていたメタルよりもずっと過激だった。
みんな同じ時期に出てきたんだけど、『Metallica』に影響を受けたのは確かだね。」
こう考えるとやはり「Metallica」は偉大だ。
まさに先駆者。
Mustaineがいる「Metallica」なんてきっと永遠に観ることはできないだろうなぁ。
想像するにすごいケミストリーが起きていたに違いない。
「God Hates Us All」について
「俺たちはいつも何かにつけて非難を浴びてきた。
『God Hates Us All』はいいタイトルだと思う。
それについて議論するなら聞いてやるが、お前は負けるぞ。
当時は、このアルバムが発売された日に起こった出来事(9.11)のために、多くの人々にとって非常に意味のあるアルバムだった。
予言のようなものだったんだ。
俺は初期の頃、『Mercyful Fate』と『Venom』、この2つが好きなバンドだったんだ。
俺は鍋をかき混ぜるのが好きで、物事を提起するのが好きだ。
たとえ誰かが激怒したり、同意しなかったとしても、人々に何か話題を提供するのが好きなんだ。」
イイね、「議論するなら聞いてやる」という自信がイイ。
これは「Slayer」というバンドの性質を端的に表しているよね。
アルバムのジャケと歌詞はいつの時代も物議を醸してきたのだから。
「Guilty of Being White」について
「面白いことに、あの日Tomはボーカルをやっていて、彼がそれをやったんだ。
(最後の「White」を「Right」に変えた)
はぁ、これは話題になるぞと思ったね。
とてつもなく人種差別的な発言だったけど、それをしたのはチリ人の男なんだ!
だから、こういうことが捻じ曲げて解釈されることはおかしいんだ。」
恥ずかしながらこの話は初めて聞いた。
原曲は「Right」ではなかったのか!
カバー元のバンドのことは知らない。
でも申し訳ないけれど、最後の一言が「Right」に変わることで一気に歌詞の価値が上がっている。
ちょっとしたどんでん返しのような意外性を孕んでいるからだ。
Hannemanに会った最後の記憶
「覚えてるよ。
2011年のコーチェラで行われたBig 4のショーだったと思う。
Jeffが出てきて、みんなを驚かせたんだ。
ステージで大復活したんだ。」
運命は残酷だ。
不幸な偶然の連鎖がHannemanを若すぎる死へと追いやってしまった。
彼の死後、アルバムは一枚のリリースにとどまった。
私が初めに聴いた印象は、「はんぶん」になってしまったんだな、というものだった。
Slayerの活動休止について
「怒り…他に何がある?
時期尚早だった。
まだ遊べる、まだ遊びたい、でもその生活を奪われてしまった。
でも、とにかく、次の章に進みたいと思う。
『Slayer』は世界の頂点にいた。
世界の頂点に立つことは悪いことではない。
でも、もちろん、演奏できないのは寂しい。」
ぜひその怒りを原動力にしてステージへと戻ってきて欲しい。
「Slayer」は常に怒っていた。
そのパワーを、また全身で浴びたいんだ僕は。
Slayer最後のショウについて
「信じられないかもしれないけど、『ヘマしなくて本当に良かった!』と思ったね。(笑)
ツアー中は時々、頭がふらふらすることがある。
いつもなら、失敗しそうになったら、ピック・スライドをするんだけど、そうすると脳が再起動するんだ。
その晩はかなりうまくいったよ。」
これはリアルな発言だね。
「Slayer」の曲はテンポが速いものが多いから、ところどころにピック・スライドを入れることで、大きくズレることを防いでいるのかもしれない。
これは面白い。
犬がブルブルって体を震わせてリセットするようなものか。
ツアーについて
「俺らは歴史がある場所や都市を全て回っていたんだ。
もうあそこの友達には会えないんだって思うと、がっかりする。
その国に行けば、この人たちに会えるってわかって、毎年会っていたのに。
もう3年も会ってないんだよ! 最悪だ!
そしてファンも。
『Slayer』はファンにとって大切な存在だし、ファンも俺らにとって大切な存在なんだ。
また会えるとは思うけど、『Slayer』がいないのは多くの人にとって大きな穴となる。」
まさに、おっきい穴があいてます。
心の中にあるメタルの故郷にブラックホールのような大きな穴が。
そしてまた厄介なことに、その穴を塞ぐことができるのは「Slayer」しかないのだ。
蛇について
「これはよく覚えているんだ。
テキサスでのツアーを終えたときだ。
あるライブハウスがペットの蛇を飼っていて、彼らはそれを『Slayer』と呼んでいたんだ。
『Slayer』と名付けたんだ。
俺は『Venom』の大ファンだったから、家に戻って蛇を飼い、『Venom』と名付けたんだ。
これから活躍するミュージシャンが飼うペットとしては、タブーでもあってクールだと思ったよ。
もし俺がツアーに出たら、1日1回誰かに見てもらうことができるし、餌も2、3週間に1回でいいんだ。
俺は過去に犬や猫を飼っていたが、ツアー中に世話をしてくれる人がいなければ、うまくいかない。
蛇とは、完璧なタイミングで一緒になったんだよ。」
Kerryが蛇を飼っているとは。
勉強不足の僕は知らなかったよ。
僕は気味悪くて触ることすらできない。
名前がVenomっていうのも最高にクールだ。
しかし餌の間隔が長いな。
燃費がいいんだね蛇は。
何だったっけ、ナマケモノだっけ、モグラだっけ?
燃費が悪すぎて満腹状態で餓死することのある動物は。
終わりに
とても興味深いインタビューだったので、引用を交えつつ「Slayer」への思いを綴ってみました。
大切なものを失った空虚感はまだ消えないよ。
ああ、「Slayer」のライブが観たい。
2023.2.9 Freakz
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