ありきたりから、少し道を外れてみることに、芸術としての価値がある
パンクにもヘヴィメタルにも、変則的な拍子を用いるバンドは多々ある。
私はこの変拍子というものが大好きだ。
拍子は一定である方が分かりやすいし、ノレるのは間違いない。
たまにはそんなシンプルも心地よい。
しかし、それだけでは少し退屈だ。
ありきたりから、少し道を外れてみることに、芸術としての価値がある。
拍子がぱっと変わった瞬間、聴き手はそこに引きつけられることになる。
これは実に効果的であり、聴き手の意表をつくことにもなる。
転調やテンポチェンジにも似たような効果があるだろう。
曲構成に中に美しく組み込まれてこそ
しかし、考えなしに変拍子を多用するのは駄目だ。
曲構成の中に美しく組み込まれてこそ、真価を発揮する技法だからだ。
「Slayer」の一拍少なくとか一拍多く作ってあるのは実に見事だ。
「あぶらだこ」は、変拍子の多用というよりも、無拍子だ。
拍子がどんどん変わるというよりは、初めから拍子なんて無いと言っても良いくらいだ。
だから、別格というか、超越してるというか、同じくくりでは語れない。
知的で芸術的、そんな変拍子をアーティストはどんどん使って欲しい。
2010.5.27 Freakz
(追記)
「曲構成に美しく組み込まれてこそ」という表現、自分で書いておいてシックリ来るなあ。
「Dream Theater」の「Dance of Eternity」なんかは、これ以上のものは生まれないのではないかと思うほどに完璧だ。
たまに使われる「人間椅子」の変拍子も好きよ。
2022.3.18 Freakz
コメント